性同一性障害について
2000年5月4日

男らしさ、女らしさが見事に確立された社会で頻発する現象ではない。
男らしさ、女らしさが揺らいでいる社会で頻発する現象である。
男らしさ、女らしさが揺らいでいる社会では、男性が女性的な考え方をし、女性が男性的な考え方をすることに対する縛りが弱い。
そこで、男らしさ、女らしさが揺らいでいる社会内の或る男性を例に取ると、その男性が自己抑制や他からの規制が働かずに女性の立場に身を置き女性的な考え方をし続けることで、女性的な考え方に脳神経が配線され、女性的な脳ができあがってしまい、脳は女性、肉体は男性ということになってしまう。
考えることはそのような脳を作ることでもあるのである。
では、男らしさ、女らしさを無くせばよいのか。
その結果、できあがるのは中性的な脳とそれぞれの性の肉体をもった人間であるが、それは自分の肉体の男性、女性を補い統御する男らしさ、女らしさの原理を持たない動物的な人間である。
〈弱いものを守る、潔さ、卑怯・恥を知るなど〉といった男らしさは男の強さ・荒々しさの欠点を補い統御するし、
〈道徳感の強さ、生活力の強さ、慎みなど〉といった女らしさは女の弱さ・優しさを補い統御する原理なのである。

2002年5月追加。
男らしい態度や身なり、女らしい態度やみなりが確立されている社会では
性同一性障害の人が自己の体を傷つける必要性は減少する。
それは上に述べたように性同一性障害になる傾向が抑制されると共に、
性同一性障害になっても女の心を持った男性は女性の態度やみなりをすることで、
男の心を持った女性は男性のみなりや態度をまねすることで
それぞれ女性、男性としての擬似的なアイデンティティーを樹立できてそれで満足できるからである。
しかるに、男も女も同じ服装や態度をしていては服装や態度ではアイデンティティー確立できず、
自己の肉体を傷つけることになるのである。




「救世国民同盟の主張」へ戻る

「トップページ」へ戻る