スポーツの楽しみ方

2000年6月26日
2006年12月1日改訂


オリンピック選手が、それまでスポーツの楽しみよりも優秀な成績を優先して努力を重ねてきて、オリンピックに出場してメダルを取ろうと必死になっているときに、
「五輪を楽しむ」ように誰彼かまわず勧めるのは如何なものだろうか。。
「ガンバ!Fly high」(少年サンデー連載)の藤巻駿選手のように普段から楽しい競技をこころがけているような場合とは訳が違う。
急に態度を変え楽しんでやろうとすれば緊張の糸が切れ、十二分の力など出せるはずが無いのだ。五輪でメダルを取るには普段以上の力を出すことが必要なのに。
トップに君臨する外国の選手達は楽しくやっているように見えても五輪の結果が重大であることを十二分に認識したうえでのことだ。
五輪でメダルを取るかどうかがその後の自分の人生を変えることを心に刻んでトレーニングに励みながらも、
悲愴にならないために心の健康を保つために楽しい競技を心掛け、コーチや周囲もそれを認めているのだ。それを普段から実践しているのだ。
そして、その「楽しい」競技を普段から実践し五輪本番で実現できるのは恵まれた国に生まれた恵まれた才能の選手が多いだろう。
日本の選手は五輪でメダルを取り、国や郷土の誇りとなり、後に続く選手の手本となり、日本人が自信を持てるようにすることを期待されて、
周囲や国から物心両面で援助を受けている。
期待に答えるために頑張ることは義務でもある。
だが、「楽しくやって何が悪い」と言われれば、「そのとおりだ」と言うしかない。
楽しく競技することを否定できるものではない。ただ、楽しく競技することを勧めるにしても時とやり方を選ぶべきだし、
人についても、それぞれの競技スタイルを認めるべきだということだ。




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