ソドム、ゴモラ、そしてオランダ。
2001年4月10日
The Destruction Of Sodom And Gomorrah, a painting by en:John Martin (painter), died 1854, thus 100 years. From Wikimedia project |
オランダで同性愛のカップルの結婚が法的に承認されたそうだ。
オランダは同性愛の町であるソドムとゴモラを滅ぼした聖書の神の教えに明らかに反する国となった。
これに対し、当事者が幸福ならそれでいい。幸福になる権利は平等だからという意見がある。
確かに、人間は幸福になる権利を平等に持つ。
しかし、どんな形の幸福でも認められるのが世の中ではない。
オランダのようなことをすると、
当事者が幸福でも社会を構成する大多数の人間は不幸になる。
自分たちが幸福なら他者は不幸でよいと言うのか。
同性愛のカップルの結婚を法的に承認することは同性愛が一般的な文化になることにつながる。
同性愛が一般的な関係になれば、自然な関係により生まれる子供は少なくなる。
男と男、女と女からは自然には子供は産まれない。
だから、同性愛者の遺伝子を受け継ぐクローン人間を求める圧力にもつながる。
同性愛が支配的な文化になれば、それは人間種族の危機だ。
同性愛が一般的な文化になれば、同性愛者が公然と同性愛を誘うようになる。
そして不幸な同性愛者を増やす。
自然な関係で子孫を増やせる普通の人間の方が
一般的に言って同性愛者よりも幸福と言えるからだ。
性同一性障害も増える。
自分の体を自ら損なわざるを得ないような存在は不幸だ。
そして、普通な人間は同性との間でも恋愛感情を考慮せざるを得なくなる。
これは同性同志の気安い友情の関係の基礎を掘り崩す。
軍隊で伝統的に同性愛者が忌避されてきたのも同じ理由だ。
戦友間の友情の基礎を掘り崩すからだ。
確かに、少数者の権利は保護されるべきだ。
しかし、それは少数者の権利全てが多数者の幸福を犠牲にして良いことを意味するのではない。少数者の無視してならない権利とは
少数者の重大な利益だけだ。
だから、同性愛者というだけで迫害してはならないのはその通りだが、
同性愛者を普通の人間と同様に扱ってよいというものではない。
社会は同性愛者を迫害から保護しつつも、同性愛は望ましくないという規範を維持すべきなのだ。
従って、同性愛のカップルの結婚を法的に承認することは間違いなのだ。