★米女子ゴルフ
2003年3月4日


2002年12月4日付け朝日新聞夕刊によると、
米ゴルフ協会のツァー戦に女子選手のスージー・ワーリーが出場することになったそうだ。
予選を勝ち抜いて出場する選手はワーリーが初めて。
予選はレディースティーからスタートしたが、本大会は男子選手と同じ距離で争われる。
「…私はこの決定の歴史的な意味合いも理解しているし、女子ゴルファー選手にとっての重要性も理解している」と語ったそうだ。
しかし、多分、その理解はフェミニズムの立場に立つのだろうから、
反フェミニズム・男女対等の立場から考えてみる。
このケースには我々の立場からも反対はしないが推奨もしないということになる。
決定的な意味は無いが、
男女の和合・協力よりも競争・対立をもたらす傾向があるからだ。
男性は一般的に女性よりも身体能力が優れていると言うだけで、
特定の女性が男性よりも身体能力が優れている場合もあることは誰もが認めることだ。
日本では知的競技であるプロ将棋に見られるように男女平等の対戦が実現している。
だから、ワーリー選手が男子選手に混ざって優秀な成績を収めても何ら不思議ではない。
しかし、男性は一般的に女性よりも身体能力が優れているので、
女子のトッププロが恒常的に男子ツァーに出場することになれば、
男子ツァーの一軍化が女子ツアーの二軍化が進む。
男性と女性の一般的な力の差が際だつことになるだろう。
そして、女子プロにとり、一軍での優勝が目標になるなら、
一般的な傾向として
女子プロに無理が生じると共に、困難な目標に対する絶望感さえ、広まるだろう。
また、フェミニズムの立場にたつなら、
予選から平等の距離を戦うべきことになるし、
強い男子プロが賞金目当てに女子ツァーに参加することも拒めないことになろう。
しかも、男女平等原則を貫徹するなら、平等の距離で戦うことになろう。
それでもフェミニストが良いというなら、
フェミニズムが女性の完全な男性化、
肉体的にも心的にも文化的にも性差の完全な消滅を究極の目標としているからだ。
こんな目標は断じて認められない。
もし、今回のケースに意味があるとしたら、
この壮大な計画の一段を上ったと言うことだろう。
しかし、現在程度の段階にとどまるなら、
その害悪は許容できる範囲にあり、
女子プロツァーを二軍化するかどうかは女子選手の選択に任せられることだから、
反対はしないが推奨もしないと言ったのだ。
とはいえ、我々の立場からは
体が接触する競技での男性と女性がプレーすることは絶対に認められないことになる。





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