戦後民主主義とフェミニズム
2003年8月16日


2003年7月15日付け朝日新聞朝刊2面
「本音は、戦後民主主義の下で重視されていた価値観への挑戦という形でも表れる。
「男女が性別にとらわれることなく、能力と個性を発揮できる社会の実現」という理念を掲げて
男女共同参画社会基本法が成立したのは99年。
だが、女性の社会進出を根本から否定するような森前首相の発言は、
自民党内でなお、こうした価値観が完全に共有されていない現状を示す。」
●森前首相
「子どもを一人もつくらない女性が自由を謳歌し、楽しんで、年をとって、税金で面倒をみなさいというのは
本当はおかしい。(6月26日、鹿児島市内の公開討論会で)


森前首相の発言に問題が多いのは確かだ。
しかし、森前首相は家事・育児を担う主婦の立派さを言いたかったのだと思う。
そして、主婦を肯定するのは戦後民主主義の価値観だ。
男女共同参画社会基本法は憲法の大原則である機会均等に反し、
結果の平等を推進する違憲の法律だ。
男女共同参画社会とはフェミニズムの理想を推進するものだ。
戦後民主主義とはもっと明るく穏健で常識的なものであった。
男女平等な法律の下、
男性は男らしく働いて家族の生存を確保し、
女性は女らしい心遣いを示して家庭を守ることに責任を持った。
女性の社会進出が話題となっても、それは封建主義の打破としてであった。
しかるに、フェミニズムは男女対等な慣習を公権力を使用して破壊しようとする。
男らしさ・女らしさを否定し、
家庭を守る主婦を否定し、
女性の社会進出により、指導部の出世と権力獲得を図る。
フェミニズムが女性性の否定に立つ以上、その主張は女性性の実現ではありえない。
「男女が性別にとらわれることなく」というが、
自らの男性性・女性性という本質とアイデンティティーを見失って
自己実現などできようはずがない。
家庭を守る主婦は肯定すべき存在だ。
倫理的に価値が高く彼女たちは地の塩であり、女性性の本質に適合的だし、
人間には家族・家庭から離れて幸福などあり得ず彼女たちは家族・家庭を支えるからだ。
だから、女性が家族・家庭を捨てて社会進出することは
社会が推進すべき理想などではない。
女性が家族・家庭を守る道も立派な道であり、
社会に出る道に劣るものではない。
そして、フェミニズムは女性の解放と称して、性の解放も進めた。
女性を道徳的に堕落させ、
愛から離れさせようとする戦略だ。
主婦を娼婦と非難するのもその一環だ。
愛から離れさせ、すべての女性を金になびく存在と規定し、実際にそのようにしようというのだ。
これは金持ちが愛を買える世界を意味する。
当然、そのような世界では女性も男性も道徳的に堕落し、
おこぼれをちょうだいする人間も多くなる。
そのおこぼれを期待したさもしい人間がフェミニズムに協力する。
日本で不倫の恋を推進した勢力もそのさもしい仲間だ。
自由で民主的な社会で自由を原理的に貫徹するとき、自由は害毒となる。
自由な社会にも規律は必要なのだ。



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