同性婚反対。
2004年3月4日

 オランダが同性婚を承認したのに続き、アメリカでも同性婚を公認しようという動きが起こっているので、同性婚について再論する。
 聖書の神は異性結婚と同じ形の同性結婚を祝福しない。ソドムとゴモラは同性愛者の町であった。異性愛者はアブラハムの要求した十人にも満たなかった。同性愛が支配的文化となったために聖書の神は硫黄と火で滅ぼされたのである。なぜ、聖書には不義とのみ記され、同性愛者の町と明記されなかったか。それは正義と愛の神である聖書の神が同性愛者の幸福にも配慮したからである。聖書の記述を根拠にして自らの分を守る穏健な同性愛者が迫害を受けることのないように配慮したのである。
 しかし、同性愛者が支配的文化となった町は滅ぼさざるを得なかった。なぜか。同性愛者のカップルからは子どもは生まれない。同性愛が支配的となった町では子孫が減り、その支配的文化の影響が他の町にも及び、人類の子孫が減って行く。次代に子孫を残すという立派な役割を果たす異性愛者が返って辛い立場に置かれる。そして男性と女性の異性愛が人類の遺伝的豊かさを保障している。聖書の神は人類の繁栄を何よりも望んで歴史に介入したのである。
 そして、異性愛は男性と女性が異なった魅力で引き合い、お互いを高め合うとともに、肉体的に補完し合うものである。異性愛は遺伝的子に結実する幸福なものである。異性愛によって結ばれた者には自らの血を引く子どもを持つという幸福がある。
 一般的に言って、異性愛は同性愛よりも幸福である。異性愛者が多い方が社会の満足は大きくなる。異性愛は人類の繁栄を約束する。従って、同性愛が人類社会の支配的文化となってはならない。だから、聖書の神は異性婚と同じ形の同性婚を祝福しない。
 しかるに、同性愛者に異性愛者と同じ結婚という形を与えればどうなるか。これは同性愛を公的に異性愛と同等と認めるに等しい。だとすれば、同性愛者が異性愛者を同性愛に誘うことを抑止する根拠がなくなる。異性愛者が減り幸福が減って行く。
 また、そのような社会では、普通な人間が同性との間でも恋愛感情を考慮せざるを得なくなる。これは同性同志の気安い友情の関係の基礎を掘り崩す。軍隊で伝統的に同性愛者が忌避されてきたのも同じ理由だ。戦友間の友情の基礎を掘り崩すからだ。
 聖書の神が介入した時代は人類の数が少なく、二つの町だけであっても人類の繁栄にとって極めて重大な脅威であったので、二つの町は滅ぼされた。現代においても、歯止めを設けなければ、同性愛者の力と声が高まり、同性愛が支配的文化となりかねない。人類の繁栄と幸福にとり脅威となりかねない。ブッシュ大統領の言うように結婚の神聖さを守らなければ、人類という種族の繁栄と幸福もないのだ。異性愛と同性愛を区別するのはこれだけの合理的根拠があるのだ。そして、異性婚にのみ公的な結婚という果実を与えることで同性愛に対する歯止めが与えられるのだ。
 同性愛者は自らも異性愛者の愛によって生まれてきたことを自覚すべきだ。異性愛者が主人であるべき人類社会において公的文化となる野望は捨てるべきだ。
 しかし、同性愛者の幸福も考えるのが、聖書の神の立場である。同性愛者どうしは同性愛者間の慣習法による結婚が認められ、公的秩序に反しない限り、尊重されるべきだ。同性愛者が結婚証明書を欲しければ、同性愛者の組織が発行すべきだ。公的秩序に反する形で同性愛者間の相続を行いたいなら、公的秩序に従った遺言制度などを活用すべきだ。
 そして同性婚を推進する勢力に対しては次の疑問がある。彼女たちはそもそも結婚制度に反対である。その結婚制度を破壊するために、結婚制度の神聖さを破壊する同性婚を推進しているのではないか。

参照 ソドム、ゴモラ、そしてオランダ。






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