道徳の根拠と幸福の前提
2004年6月9日

 価値相対主義の立場に立って、道徳を基礎づけることはできないという考えがある。しかし、道徳の基礎付けは可能である。人間が社会を構成する目的は人間の幸福のためである。だから、道徳が人間の幸福に奉仕するものであるならば、社会は道徳を承認しなければならない。私は「新しい幸福の原理」で、道徳を合理的な幸福の体系として組織することを唱えている。道徳とは幸福をもたらす英知でなければならない。ならば、社会は道徳を承認するであろうし、カントの指摘する幸福主義の難点を回避できることも示した。
 この立場に立てば道徳は一般的に言って幸福をもたらすものでなければならない。私は同性婚を否定するために、「人類種族の繁栄と幸福」を持ち出したが、この「人類種族の繁栄と幸福」は道徳が守るべきものである。なぜなら、人類種族の繁栄と幸福は人間の幸福の前提だからである。人類種族の繁栄と幸福が無い世界においては、人間社会に未来がない。未来がなければ、明るい希望もない。未来があることは、幸福な人間が将来に渡って存在しうる大前提であるし、希望があることは現在の人間の幸福の前提である。従って、人間の幸福を守るために、道徳は「人間種族の繁栄と幸福」を守る。
 ところで、著者は「不倫の恋=不幸ではなく、ある条件をクリアすれば幸福になれる」と説く者がいる。私の立場でも、不倫をした者がある条件をクリアすれば幸福になれることを否定するものではない。だから、不倫の恋は不幸と等しいと主張するものではない。私の主張は一般的に言って、不倫は「不幸を作る」恋であるということである。一般的に言って不幸になる可能性が大きいし、条件をクリアして幸福になるにしてもクリアするまでに本人は苦しむし、周囲に不幸を作るということである。だから、道徳は不倫を否定するし、不倫を大々的に宣伝することは間違っている。





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