市民精神の終焉  2005年3月14日
★「ローマ帝国衰亡の原因・カルタゴの復讐」---「ローマ人の物語13・最後の努力」(塩野七生著)を読んで
より抜粋
全文は書籍「哲学の理想」に掲載されています。

ディオクレティアヌス帝
ディオクレティアヌス帝
Diocletianus
Photo by G.dallorto
From Wikimedia project
 軍隊の市民精神について。ローマ市民権の開放により、軍隊の市民精神は「ローマ帝国の国政は軍人である自分たちが決め、ローマ帝国の安全は軍人である自分たちが守る」に変質したと考えられる。自主決定について見よう。元首政下では、次のような権利があった。皇帝になる。皇帝を推挙する。元老院議員になって国政に関与する。このうち、「元老院議員になって国政に関与する」は軍隊と元老院を分離する法律により失われた。しかし、ディオクレティアヌス帝以前までは、なお、「ローマ帝国の安全は軍人である自分たちが守る」という自主防衛の精神に加え、「皇帝になる」「皇帝を推挙する」という自主決定が残った。皮肉なことに、変質したとは言え、市民精神は軍が最も色濃く持っていたと言えよう。軍から改革者が現れたことは不思議ではない。そして、ディオクレティアヌス帝の分割統治制度により、「皇帝を推挙する」が停止された。上位の皇帝が下位の皇帝及び自身の後継者を指名するようになったからである。
 そして、自主防衛の精神が機能するには、軍人が皇帝=国家に対して忠誠心を持たねばならない。軍人に忠誠心を持たせるのは主に皇帝の権威・権力である。皇帝が権威・権力により、誇るべき軍隊という権威を軍に持たせ、軍に規律を与え、給料を支払い、補給・装備を与え、戦場で勝利できるからこそ、皇帝に忠誠を誓うのである。
 治世の仕上げとして、ディオクレティアヌス帝はキリスト教を大弾圧する。キリスト教徒は専制君主政にとり極めて重要な皇帝の権威を否定する態度を示した。ローマ帝国の屋台骨である軍への入隊を拒否する者がいた。これらが、その理由であろう。そして、ディオクレティアヌス帝は、多神教の異教を支持したようにローマの伝統を愛していた。専制君主政を導入したのも、国家に奉仕するローマの伝統的精神に従い、国家のために必要なことをしただけだと考えていたのだろう。そのローマの伝統に反するのがキリスト教だと考えたのだろう。そして、市民精神を失わせたことに密かに負い目を感じ、その代償として伝統的異教の保護者となりたかったのだろう。その証拠にディオクレティアヌス帝は、三〇五年に皇帝位を捨てて引退する。権力のために皇帝の専制君主化を行ったのではなく、国家のためだと言いたかったのだろう。元首政下なら、安穏に生涯を終えることもできただろう。しかし、専制君主政下では、その代償が大きかった。妻と娘はリキニウス帝により殺害される。
 そして、分治制度が持つ危うさゆえに、ディオクレティアヌス帝が始めた四分統治制度は崩壊する。しかし、ディオクレティアヌスはすべてを失ったわけではなかった。ディオレティアヌス帝が作った専制君主政に適合したローマ帝国はそのまま継続した。





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