武田信玄の肖像画
2011年1月5日



絹本着色武田信玄像(高野山成慶院蔵)
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戦国武将の武田信玄を描いたと伝えられる肖像画として
有名な高野山成慶院蔵の長谷川等伯(信春)筆のものがある。
しかし、画中の人物は武田信玄ではないとする歴史学者の藤本正行氏の説がある。

この絵の中に、
二匹両紋の紋服を着た人物が描かれていて、
二匹両紋が武田家の紋ではないことが大きな理由だ。

武田家の家紋は有名な武田菱だ。
だが、二匹両紋は足利一門の家紋だ。
武田信玄が足利将軍から一門並みとして認められて、
二匹両紋の使用を認められる。
もしくは、武田信玄が室町将軍から二匹両紋の紋服を拝領する。
その二匹両紋の紋服を着用して絵に収まるというのは大いに有り得ることだ。
使用や拝領自体が名誉なことだからだ。
名を成した壮年期だから、このような名誉を得られた。
名門武田家も将軍家を尊重する立場だ。
室町幕府の滅亡は信玄の死の後だ。

出家し剃髪したにもかかわらず、後鬢が残されている点について。

出家したとはいえ、大名のままの在俗出家者であり、
出家僧に完全に習わなければならないものではない。
また、出家僧でも完全な剃髪を行わない者もいた。

労咳や癌で死亡したとされる割にふっくらとしている点について。

病状が進行して体型に影響が出る前を描いたと考えられる。
また、労咳や癌という記述が誤りで、
実は暗殺者から受けた傷が原因で、
突然、西上作戦は中止され、信玄は死去した。
暗殺された事実は、
信玄の権威を守るため、喪とともに隠されたとも考えられる。

描いた絵師は能登出身の長谷川等伯であるが、
この時期に等伯が能登から出た形跡が無いことについて。

実際の人物を見ずに、
伝聞を基に、
肖像画を描くことは有り得ることだ。
実際の人物を見なかったから、ふっくらしすぎたとも考えられる。
実際を見たのではないので、当時甲斐ではあまり見られない鳥種も描いたのだろう。
また、この絵が戦国武将武田信玄のイメージにぴったりなのも、
現物を見ずにイメージを基に描いたからだろう。

従って、藤本正行氏の説は疑問だと考える。



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