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第1章 冷戦終了後の状況

 共産主義は、もはや時代における最先端の人類の良心を代表する理論(精神的イスラエル)としての魅力を喪失した。このことが思想的背景となった。そして支配者にも反省が促された。社会主義諸国の経済的困難により人民に生じた不満が動機となった。更にはその不満が過去におけるスターリズムの圧制の記憶と現在における基本的人権を抑圧した体制に対する蜂起となった。これらを通じて東側ブロックは崩壊への道を歩んだ。
 これは国際関係に重大な影響を及ぼした。過去の国際関係がイデオロギー対立に基づく2極対立に収斂していたのにその一方が脆くも崩れ去ってしまったからである。しかし、軍事大国としてのロシアは残っているし、一方の崩壊は直ちに国際社会の平和と統合を意味してはいない。新たな問題状況が浮かび上がってきている。
 東西2ブロックを代理する局地戦争は終焉した。しかし、そのあとにはイデオロギー対立が覆い隠していた民族対立が、芽をふいた。ユーゴや旧ソ連など旧東側に目立つが、他の地域でも起きている。
 また、第三世界によく見られた国家開発のためのプロレタリアート独裁の後に必ずしも民主主義が根付くともかぎらない。東欧の一部のように民主主義の経験がありそれが上から押さえ付けられていたような場所とは違う。発展途上国に自然発生的に民主主義が生まれるので関与は不要だと考えることは、それまでのよりどころであった共産主義に基づく価値観が崩壊した人間に対して不親切である。民主化のための国際社会による教化、援助が不可欠である。
 さらには米とソ連の対立の消滅と核軍縮により核の恐怖は薄らいだ。核武装した東西2ブロックが対峙することで、相互の軍事力行使をおさえつけていた核抑止は、一方が消滅したことで、その有効性を失った。対立するまとまった一方の攻撃に対して反応する核が、その対立が失われたことで、方向を失っている。核の行使を抑止するのは現在では恐怖ではなく道義である。しかし、東西対立の消滅は軍事的野心が発生することを防止するものではなく、核抑止に新たな役割を与える余地もある。近ごろ、国際司法裁判所は核の行使に制限を与える意見を示したが、新たな国際秩序下での役割まで否定するものではあるまい。
 冷戦後の軍事的野心の好例がフセインによるクウェート侵略だった。この場合、もし、国境線が侵害されれば核を行使するとアメリカが宣言していたとしたら、核抑止は有効であったろうか。そうとは考えられない。東西対立の核の恐怖はイデオロギーに基づく譲歩の余地のないものとしての相互の存在主張であり、生き残りをかけたものであった。核を中心とする軍事力の行使を相互の生存の否定として、それを予防していたために有効であった。それに反し東西対立終了後のクウェート侵略のような場合には核保有国の生存は何等脅かされておらず、妥協や交渉の余地のあるものだけに従来の核抑止には適さない。このような場合に核抑止に新たな役割を与えるためには、国境線が不可侵の絶対のものとして国際的に承認されており、国際社会から公的に認められた超国家的権威が核使用を裏付けることが必要である。そして、核の問題は東西対立の恐怖から、核軍縮や旧ソ連等に見られる核兵器管理の問題、北朝鮮などへの核拡散の問題へ重点が移った。
 このような状況下においてフセインに対してアメリカは多国籍軍という手段をとった。国連の支持を得た上でアメリカが自ら警察官の役割を買って出たものであった。新デロス同盟と言う者もいた。しかし、一国が国連の指揮下にもないのに、全面的に警察官として正義をふりかざすのは問題が多い。古代ギリシャのデロス同盟を考えてみよう。デロス同盟はアテネが加盟国から徴収した金で海軍を保持し、その金庫を意のままにしていた。ただ金だけをしぼりとられ発言権のない加盟国の不満は大きく、アテネの覇権は遠からず失われた。日本にいて感じたことだが、アメリカの一方的正義のいうままに金を拠出せねばならないことに抵抗を感じた。地域紛争に有効に対処できる国連軍という公的組織が望ましい。
 湾岸戦争後、国連を強化する方向で平和執行部隊が、試みられたが、ソマリアでもボスニアでも失敗に終った。この種の作戦が成功するためには、圧倒的な実力と権威、機動性が必要とされる。現在の国連では権威が不十分だし、実態はアメリカ軍だという事実があり、国連のために命をかけるという意志が希薄でもあった。東西対立という枠組を失った世界情勢は流動化したが、アメリカはフセインの野望をくじき、世界秩序を保つことに成功していた。しかし、それは一応のものであり、世界秩序の枠組みが制度化され確立されなければ、地球は弱肉強食の世界へ逆戻りする恐れがあった。
 そんな中、アメリカに9月11日のテロ攻撃が行われた。これに対して、アメリカは対テロの戦争を唱え、アフガニスタンとイラクで戦った。イラクでの戦争は国連のお墨付き無しに実行され、戦争時よりも戦争後の死者の方が多いという事態に立ち至っている。アメリカは自国に世界の紛争の火種が飛んで被害を受けた結果、自国の権威で他国を裁いて紛争を解決する公然たる体制の構築を目指した。帝国を作ろうとしているのである。これはアメリカの経済と文化が世界を覆うことでもある。
 我々はこれに反対する。多種多様な民族文化が燦爛と咲き乱れる壮麗なる美樹の世界の方が遙かに望ましい。自国の価値観を実力の裏付けにより押しつけ各民族の独自性発揮を妨げる超大国の世界支配よりも美樹を育てる世界連邦の方が比較にならないほど望ましい。超大国の支配が続けば、超大国に反発する民族の興亡と超大国没落後の民族の興亡が果てしなく続いて世界は混乱するだろう。そして、国家を絶対視する状況の下では、国益のために簡単に人権が犠牲にされ、国益のための紛争や戦争が激しく続く。この国家の絶対視を克服するにも世界連邦の建設が一番だ。世界連邦の存在により、現在ある国家の絶対視が廃棄されると共に、各民族が持つべき国家の絶対視の廃棄が受け入れやすくなるからだ。権威なき超大国と実力なき国連がある場合、私は躊躇いなく、超大国に権威を与えるのではなく、国連に実力を与える道を選ぶ。
 私は国連を強大な権威と実力を有する世界連邦へ生まれ変わらせることを提案する。

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