はじめに
この論文及び前論文「ヤマト王権創生の秘密」1)の目的は邪馬台国問題と空白の4世紀の問題を解決することである。この問題が論じ始められてから多年が経過し豊富な資料が揃うと共に研究が多出し、解決の時期が来ている。解決の方法としては、それらの資料を検討してできた学説の上に、諸説を総合勘案する目的で、メタ思考を施すことが適当と考えられる。メタ思考とは上の次元から思考そのものを思考することである。メタ思考を実施したこの論文では、一次資料等を検討した結果である歴史学者の説について、他の歴史学者の説や基本的知識等との整合性を検討したり、説そのものの論理適合性を含む合理性を総合的に検討したりした上で、自説を展開している。このメタ思考を行うについては、歴史学者の思考の結果がまとめられている書籍を主として検討するのが順当である。そのため、注には書籍が多くなっている。
前論文ではユダヤ人が倭国を征服したという仮説を提示した。この仮説及びそれに基づく「ユダヤ征服王朝説」は、『魏志倭人伝』2)『古事記』3)4)『日本書紀』5)6)や書籍7)8)9)、基本的知識10)11)
12)などを用いてメタ思考を行った成果である。「ユダヤ征服王朝説」は、オリエントから天皇氏を中心とする比較的少数のユダヤ人が船団を組んで海路、東アジアに至り、筑紫に上陸してオリエントの騎兵と歩兵の力で制圧し、その後東征して南方文化に属する邪馬台国を滅ぼし、ヤマト王権を創始した後、北方文化を輸入したとする主張である。これらの仮説に基づく私の研究によれば、一貫した、系統的な立場から邪馬台国の終焉とヤマト王権の創始に関する問題を説明することが可能なのみならず、その後の歴史を説明する指針も得ることができる。多くの人達と同様に、私も、記紀などの記述の背後には歴史的事実があると考える。しかし、記紀に対しては、津田左右吉などからの厳しい批判があった。それらを考慮すると記紀には、ある動機に基づいた歴史の歪曲・改変があると考えられる。記紀の目的が天皇氏支配の永続であるという基本認識を維持しつつ、私の仮説は歴史の歪曲・改変の動機をユダヤ人という出自と土着の王国の征服に求めて具体的に説明するものである。この論文では、私の仮説に基づいた、邪馬台国終焉、ヤマト王権創始、空白の4世紀に関連する諸問題の更なるメタ思考の成果を明らかにする。私の仮説に整合的な事実及び事実の解釈・学説を多数提示し、私の仮説に整合しない主張を批判し、新解釈・新説を提示することにより、統一的で一貫し矛盾の無い歴史像を提示すると共に私の仮説の正しさを証明するものである。文献学的検討が主だった前論文に比べて考古学的検討も十分に行っている。しかし、炭素14年代測定法による国立歴史民俗博物館研究グループの「箸墓=卑弥呼の墓説」は、安本美典氏の厳しい批判13)が当たっているので取り上げないし論拠としない。
なお、定型化した前方後円墳・前方後方墳の成立をもって古墳の成立とし、それ以前の地域的特色の顕著な墳丘墓とは区別する考え方14)を採用する。天皇号が成立していない時代だが、ヤマト王権の首長を便宜上天皇と呼ぶ。
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