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このページは、生殖医療に関する意見を求める厚生省の審議の参考とするために、1999年5月23日にEメールとして厚生省宛に送付しました。


 法の問題について立ち入ることになるが、倫理と関連するので生殖医療の問題について考察する。以下に医療機関、研究機関、営利機関などが生殖医療を行う場合をまとめた表を掲げる。
この表を元に議論を進めて、根津八紘氏の問題提起に答えたいと思う。

妻の
卵子か
妻の
出産か
夫の
精子か
現行法の
立場
倫理的に
望ましいか
救済の
必要性・許容性
 1  ○  ○  ○   ○   △    ×
 2  ○  ○  ×   △   ×    ×
 3  ○  ×  ○   ×   ×    ○
 4  ○  ×  ×   ×   ×    ×
 5  ×  ○  ○   ×   ×    ○
 6  ×  ○  ×   ×   ×    ×
 7  ×  ×  ○   ×   ×    ×
 8  ×  ×  ×   ×   ×    ×

 日本で妻の妹から提供された卵子により子供が誕生したことが話題になった。5のケースである。それを行った根津氏は学会を除名された。これに対し、提供精子による非配偶者間の人工受精(2のケース)が認められていることと不均衡だという批判がある。
 しかし、民法の原則を考えてみよう。民法は配偶者間の性行為により夫婦の遺伝的な子が遺伝的な母親の出産により誕生することを原則としている。これは、配偶者間の性的結合を特別なものとし、家族と道徳を守るために譲れない原則である。これを通常の夫婦関係の下で生まれた子供のいる家庭について幸福の観点から説明してみる。父親は愛する妻が生んだ確実に自分の遺伝的な子であるはずの子に対して愛情を有するのが当然である。母親は愛する夫と自分の遺伝的な子である腹を痛めた子に対して愛情を抱くのが当然である。子供は遺伝的な父母に愛情でこたえる。愛する子をかすがいにして夫婦の愛情は深まり、子供は愛の中で健全に育まれる。愛情に包まれた家庭は社会の避難所として安らぎを与えるとともに、社会に有為な人材を送り出す。
 1のケースは夫婦間の性行為が無いこともあるが当事者の幸福と社会の利益のために当然許容される通常の医療である。法も当然、許容している。
 2のケースも望ましいものではない。しかし、民法は夫婦関係にある女性が自分の遺伝的な子を出産したとき、その夫の子であると推定する原則を取っている。夫は自分の遺伝的な子ではないこどもに対しては嫡出否認の訴えを起こせるが自分の子として認めて放置することもできる。これと同様に、提供精子による非配偶者間の人工受精も原則の例外として当事者の幸福のために黙認されているのである。夫の同意がある上に、妻が出産した妻の遺伝的な子であり、法の原則を損なう恐れが少ないからである。
 しかし、原則の例外を無原則に広げることはできない。2を許容する理由は3〜8のケースには当てはまらないので、3〜8のケースを法は禁止していると考える。7に対しては法が認知という法的な手段を認めているという反論も考えられるが、認知は自然のやみがたい感情に動かされた場合を救済するためのもので、人工的に医療として行うことを認めることはできない。同様に8のケースも医療などとしては許容できない。
 従って、2のケースと5のケースの不均衡論は成り立たない。
 しかし、現行法から見て禁止されていても救済の必要があるかどうかは別問題である。救済の必要があるなら立法で解決すべきこととなる。この点を検討して見る。
 3のケース(典型的な代理母のケース)だが、生まれた子には遺伝的な母親と出産者の二人の母親がいて、アイデンティティーが分裂する不幸に傷つきやすい。二人の母親の争いが起こる恐れもある。妻に出産したという切実な経験も欠けている。しかし、子供としようとする夫婦双方の遺伝的な子である。当事者の切実な願いに対しては要件を絞って許容してよいと考える。
 3のケースを許容する場合の要件について述べる。まず、子供を作りたい夫婦共同の家庭裁判所に対する事前の申請が必要とする。その申請には1の方法では子供ができないことの権威ある記録による証明と医師の意見、出産者の権利放棄の同意書を添付する。これに対し、裁判所は要件を検討した上で許可の条件を決めて当事者に通知する。これに同意した夫婦と出産者を法廷に呼び出し宣誓させる。医師の同意書も必要である。宣誓の内容は夫婦が完全な実子として育てるということであり、出産者は母親としての権利を完全に放棄するという内容である。三人を同時に宣誓させるのが望ましいだろう。そして、子供が生まれて来た後での裁判所への報告を義務づける。
 生まれてきた子は法的には完全な実子として扱うべきである。当事者の幸福のためである。そして当事者に覚悟を求めるためである。
 4のケースだが、これは救済の必要は無いと考える。妻に出産の経験も無いし、夫の遺伝的な子でもない。妻の遺伝的な子であるという事実だけでは全く不十分である。
 問題の5のケースだが救済を認めてよいと考える。子供のアイデンティティー等に問題があるのは3のケースと同様だが、夫の遺伝的な子であるし、出産の経験もある。夫婦は容易に自分の実子として育てられるだろう。
 要件は3のケースと同様である。ただ、卵子提供者にまで宣誓を求める必要は無いだろう。
 6のケースに救済の必要は認められない。出産という事実だけで親子のふりをするものであると言える。
 7と8のケースも許容できない。
 もちろん、4と6と7のケースの禁止を回避するための行為は禁圧すべきである。これは、子供が欲しい夫婦が関与して他の夫婦に許容される2と3と5のケースの医療を行わせる。そして、生まれた子を養子としたり、実子として届けたりする行為である。
 立法で解決する際には2のケースの問題点についても議論し立法に反映させるべきである。優生学上の配慮も必要であるし、精子の提供者(2のケース)や出産者(3のケース)、卵子の提供者(5のケース)について規制を加えるかも問題となろう。精子(2のケース)や代理母(3のケース)、受精していない卵子(5のケース)の公的バンクを検討してもよいが、受精した卵子の流用は禁圧すべきである。
 以上は立法のアウトラインであり、詳細については議論する必要があり、特に裁判所の許可の条件については熟慮が必要である。罰則も新たに立法すべきであろう。
 生殖の自由・権利はプライベートなものではあるが、社会に新たな成員を迎えるという公的な問題でもある。当事者の主張する幸福だけですべてを自由にしてよいはずがない。子供を持ちたい切実な夫婦の願いを考えるべきだという意見もある。しかし、子供が無いから幸福になれないわけではない。どんな障害を持っていても幸福に暮らしている人もいる。だが、幸福の可能性は大きい方が良い。不幸となる可能性が大きい子供を持とうとすることは望ましくないのである。彼らは自分の外部に幸福となれない責任を押し付けているが、幸福の障害は彼ら自身の心にあることが多いのである。子供を持つには法の認める養子という方法もある。
 生殖医療について日本の現行法の立場は明らかである。当事者の幸福のために例外を拡大するには新たな立法が必要である。

3のケースは、新たな立法により救済する必要性があり、許容性もあると考える。事前の要件としては、代理出産以外で子をもてない事が明らかであること。事後の要件としては、出産で認めるのではないので、DNA鑑定で夫婦の生物学的子として認められることが必要であろう。

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