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聖道門と浄土門

青空と赤い百合の花の写真

2000年5月19日
2007年7月19日改訂

「法蔵比丘が四十八願の誓いを宣言した。『設い我れ仏を得たらんに、国に地獄・餓鬼・畜生あらば、正覚を取らじ」という第一願に始まる四十八項目にわたる誓願である。自分が仏となる条件として国に地獄や餓鬼・畜生が存在する限り、悟りを得た仏とはならない、と誓うのであった。」(「法然讃歌」寺内大吉著、中公新書より)
この誓いは、阿弥陀仏の慈悲心の現れであり、意味することは善の王国に力を与えた者が極楽往生するということだと考える。
これに対して、悪を為さないでは生きて行けない法然の時代に法然のような解釈をするのは意味もあっただろう。
しかし、悪を為さないでは生きては行けない時代から隔たった現代のような悪を為さないでも生きられる時代においては、解釈が異なってくるだろう。
現代では、やむを得ず悪を犯した悪人のみが、念仏だけで救われるだろう。
悪に属していた彼らが念仏を唱え善の王国に帰属することで善の王国の力は増すからだ。
しかし、善人は念仏だけでは救われない。
彼らはもともと善の王国に帰属しているのだから善の王国への帰依を表明しただけでは救われない。動ける者は積極的に行動せねばならない。
自らを動かす力のある者は自らの心身を修めて周囲に善行を積まねばならない。
さらに周囲を動かす力のあるものはその権力で世の中に善を積まねばならない。
学のある者は真・善・美を貫かなければならない。
出家者は聖道門を実践しなければならない。念仏だけでは極楽往生は保障されない。
それぞれが可能な小乗的、あるいは大乗的善をなさねば極楽往生は保障されない。
同様に、悪を悪と知りつつ悪を避けられるのに悪をなした悪人は念仏だけでは救われない。彼らは積極的に善の王国に背いたのだから、国から悪を無くして善を回復する贖罪をしなければ極楽往生は保障されない。
また、やむを得ず悪をなした者が善の王国に帰属した以後、積極的に悪をなしてはならないのも当然である。

「『大経』はさらに仏弟子阿難の問いかけをかりて「法蔵菩薩、すでに成仏し滅度(完全な悟り)を取り給えとやせん。未だ成仏し給わずとやせん」と釈尊に念を押す。釈尊はこれに答える。――法蔵菩薩、いますでに成仏して、現に西方にま(在)します。ここを去ること十億刹なり。その仏の世界を名づけて安楽(極楽浄土)という。」(「法然讃歌」寺内大吉著、中公新書より)
すでに当然に極楽浄土はあるかに取れる。
しかし、その国の人々が反省して法蔵比丘に力を与えなければ極楽浄土は実現しない道理である。




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