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国民の歴史」を読んで
(西尾幹二著、編/新しい歴史教科書を作る会、産経新聞社刊 )

2000年1月4日


海岸と岬と雲の写真 日本国民に誇るべき歴史を語ろうという姿勢には共感する。
日本語の成立事情に関する洞察、日本の中華思想からの距離の取り方などの叙述は
見事であり称賛に値する。
しかし、我が党の主張に反する部分も多々あるのでここに反論する。

1
日本神話の本体はスサノオとクシナダである。
縄文・弥生人はスサノオとクシナダの訪れを静かに待つ人々であった。
縄文・弥生人が日本文化の源流であることに異議はない。
日本列島には二つの大戦乱期があったという。
平和に暮らしてきた縄文・弥生人が第一の戦乱期に何と戦わねばならなかったのか。
ようく考えてもらいたい。




3
「実際に行われた戦争が本来の政治的目的から照らしてみて、成功しているか否かを論じることは適切でこそあれ、それが正義であったか不正であったかを論ずるのは当を得ていないし、かえって危険だと考えるべきなのである。
なぜなら、おのれの戦争が正義であり、神聖であると認めることは、「人類の法廷」をなんらかのイデオロギーの名において設定することと同じであり、」
と主張される。
これは詰まるところ、人は人の裁き手になりうるのかという問題に帰着する。
しかし、人が人に対して正義の裁き手となりうることを否定するなら、
司法裁判で死刑を言い渡すなど到底認められないことになる。
西尾氏は東京裁判が人類の法廷ではあり得ないことを主張したいのだろう。
しかし、それには人類の法廷を否定するまでも無いことである。
東京裁判はニュルンベルク裁判と違い、通常の戦争犯罪を事後法で裁いた不当な裁判であると言えばいいだけである。
ニュルンベルク裁判は力を行使し得た特定の国々の基準による裁判ではない。
軍事的要請からではなく、600万人のユダヤ人、50万人のジプシー、2、300万人に及ぶ東欧諸国の人々を集団収容所で殺戮したのだ。
ナチスを信奉しない通常の人々の恐らく100パーセントに近い人々がこの基準を認めるだろう。


4
西尾氏は歴史に切れ目はなく、日清・日露は肯定し昭和の戦争を非難することはできないと司馬遼太郎氏を非難する。
確かに、現実の歴史に切れ目はない。しかし、思考の便宜からある時期を取り出し、その時期について一定の基準を用いて評価することは可能であり、だからこそ歴史は反省の役に立つのだ。
日清・日露までは過去を考えずに未来に立ち向かった日本人が今過去を顧みるのは
閑人の営みなどではない。未来に踏み出すためによって立つ基盤を明らかにするためである。
敗戦を経験した以上、過去を反省して未来の勝利につなげなければならないのは当然である。
「国民の歴史」もそういう趣旨だと理解しているが。
そして、私の判断では未来のためには日中戦争を侵略戦争だと断じざるを得ない。
また、世界征服のための共同謀議は存在しなくても、大東亜共栄圏を天皇主権権力で支配しようとする意志は有った。皇民化の措置もとられた。
太平洋戦争で反西欧植民地闘争と言うことを初めから打ち出せなかったのも、
歴史に学び自らの歴史的立場を固めていなかったからではないのか。
過去を全面的に正当化できない以上、
自分の過去を反省しつつ、
戦勝者の過去をも裁く立場にあるのが我々なのだ。

日本は欧米と対等の立場で堂々と植民地争奪戦を戦い、敗北した。
ナチスと同盟していたので不当な弾劾も受けた。


5
西尾氏は「世界政府を確立する道が世界征服戦争以外に原理的にいってはたしてありうるのか」と疑問を呈する。
しかし、我が党のホームページをご覧になれば、世界征服ではない世界統合の具体的プランを我が党が所持していることがお分かり頂けるであろう。
そのプランに基づき平和的に世界連邦を建設する。
西尾氏は「これからの我々の未来には輝かしきことはなにもおこらない」と言う。
確かに、忌まわしき闇の勢力がこれからも日本を支配するなら、輝かしいことは何も起こらないだろう。
しかし、救世国民同盟とその支持勢力が政権を掌握すれば
世界連邦が建設され、
人類は銀河宇宙へと進出し、アクエリアンエイジの楽園が到来するだろう。
また、西尾氏は現代をヘレニズム時代にたとえるが、
我々の描く未来は古代ローマの帝政とは全く違う。
我が党のホームページをご覧になれば分かるはずだ。
日本が主導して世界連邦を建設すれば、日本は名誉ある地位を得るだろう。
しかし、そのとき日本人が自分たちの過去を全て正当化すれば世界は日本を尊敬しないだろう。
私は日本人は常に雄々しく戦ってきたと考えたい。
昭和の戦争だけ哀れみのまなざしで見つめるのは妥当ではない。


6
西尾氏の言うとおり、縄文式火焔土器、運慶までの仏教彫刻、北斎が優れていることを承認する。
しかし、縄文式火焔土器を作った縄文人、町人の葛飾北斎が王朝貴族の精神と遠く隔たっていたことは言うまでもなく、
仏師の精神でさえも王朝貴族とは遠く隔たった厳しい場所にあったことを指摘しておく。


7
蛇足ながら第一哲学とは人間世界の合理的モデルであり、
枝分かれした科学がその先々で豊かな果実をつけたからこそ、
再統合の材料が揃ったということを指摘しておく。


私は救世国民同盟の支持者に「国民の歴史」を推薦もしないし禁止もしない。
ただ、読まれる場合は以上のような点に注意されることを望みます。

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